どうも、みきです。
20歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されてから
17年経ちます。
-
潰瘍性大腸炎と診断された時の思い
続きを見る
今は奇跡的に潰瘍性大腸炎の症状が2年ほど落ち着いていて
普通に日常生活を送れています。
今日は
めちゃくちゃ荒れた学生生活を送っていたから
潰瘍性大腸炎になってしまったんじゃないかな
と思ったことをお話します。
潰瘍性大腸炎になる原因というのは現代の医学では
はっきりとはわからないようです。
ですがわたしは、きっとあの荒れ狂った
だらしのない学生生活を
送っていたせいで、
潰瘍性大腸炎のきっかけを作ってしまったんだと
今になって思っています。
なぜ潰瘍性大腸炎になってしまったのか 思い当たること【荒れた学生生活】
この潰瘍性大腸炎と言う病気は何が原因で起こるのか
現代の医学でははっきりとわかっていないようです。
ですが、ストレスや不規則な食生活が要因になること
がわかっているようです。
20歳になりたての頃の私は絵に描いたような不規則な食生活
を送っていてそれが原因で強いストレスもたくさん抱えていました。
なので潰瘍性大腸炎になる原因は現代ではわからないとされていますが
大いにこの二つは関係があるとわたしは思っています。
潰瘍性大腸炎になる直前のわたしの生活は荒れに荒れていました
逆に潰瘍性大腸炎になるための食生活を送っていたというくらい
不規則で最悪な食生活を送っていました。
朝早く起きるわけでもなく
ダラダラと学校へ行き、アルバイトと部活に明け暮れていました。
友人と朝までカラオケしては朝マック、なんてことが
日常茶飯事でした。
この頃、お酒を飲んだらこんなに楽しいんだ、というのを知ってしまい
開かれる飲み会と言う飲み会にはとにかく絶対に参加していました。
飲む準備として「ウコンの力」をみんなで
「今日は飲むぞーー!」って一気飲みしたりしていました。
(バカだなぁ…)
両親に学費を払ってもらっている分際で
いったいおまえは何をしているんだ!!
と今思います。
この頃のわたしの主食のほとんどが安居酒屋の高カロリーなおつまみでした。
唐揚げや、ナンコツ、ピザ、明太子卵焼き、たこ焼き、フライドポテト、など。
それを一気に食べていたのだから、
お腹も悲鳴をあげるだろう。
冷静に考えたらわかる話です。
たまに、お茶漬けや、スティック野菜、生春巻きとか
ヘルシーなおつまみを頼んだりして
自分の乱れた食生活の帳尻を合わせていたつもりになっていました。
そんな小手先の健康志向を試してみたところで
今までの乱れた食生活が改善されるわけがなく
わたしの体は後戻りできないところまで来ていました。
潰瘍性大腸炎発症まであと何日!
と言うカウントがこのころから始まっていたんだろうなぁと思う。
朝まで飲むが基本だった
そして大体、時間に制限のない
学生の飲み会なんて内容がなくゴールも何もないので
朝までコースと言うのがお決まりで、
眠気より飲みを優先させるというのが日常茶飯事だった。
そして挙句の果てには飲みすぎて、
嘔吐なんてことも本当によくあった。
そうやってクズ生活を極めていたのであります。
当時は楽しくてその生活を送っていたのかもしれませんが
心のどこかで
「このままずっとこんな生活を続けていても大丈夫なのかなぁ」
と感じていました。
なのにこの生活がやめられない、といった感じで
このループがわたしの当時のストレスでした。
この頃は、とにかく荒れていて、
なぜか人と群れるのが好きで、その時間がとても楽しかった。
群れて何か熱く語ったりしていたつもりなんだろうけど
今考えるととても内容がなかったと思う。
その場が楽しければいいという感じでした。
誰と誰が付き合っているとか、別れたとか、
何で別れたのか、どんなケンカしただの
何がケンカの原因だったのか、とか、
今〜と言う芸能人にハマっているとか
本当にくだらない内容で盛り上がっていました。
そして人と群れていない時間は「ただただ寝てる」
と言うとんでもないクズ学生でした。
人と群れることで学んだことも今思い返せば多少なりともあるんだろうけど
今考えると若いのに何も挑戦しようとしていなくて
ただただ同じ生活を繰り返していて
非常にもったいない日々を過ごしていたと思う。
もしタイムマシーンがあって今の37歳のわたしが
この頃の20歳のわたしにもし1分、いや10秒でもいい
出会えるとするなら
このアホゥ!お前は一体何してるんだ!
って往復ビンタをくらわせたい。
そして、
もっと人生に目標を持って生きろ!!!と言いたいです。
この当時に時を10秒戻す体験に1万円かかるとしても
支払って、クズ学生だった自分に喝を入れたい。
当時のトンデモやろうなわたしにこの想いを伝えるには
10秒じゃ全然足りないかもしれないけど!
潰瘍性大腸炎と診断されたばかりの頃はこの病気をなめていた
そしてそんな生活が続き
とうとう体に異常が起こり
わたしは病院に行かざる得なくなった。
そして20歳の冬、潰瘍性大腸炎と診断されてた。
だけどわたしはその診断を受け入れていませんでした。
ただ腹痛が続いているだけだ、と思うようにしていました。
なので生活も特に変えようとはしませんでした。
一生治らない病気と言われて落ち込むのが悔しかったのです。
(実際はものすごく落ち込んだ)
だからこの病気とわかってから間もなく
ハワイ旅行も半ば強行突破で行ったし、
病気だからといって諦めたことはなかった。
だけど症状は悪化する一方で
明らかに普通の人よりトイレに行く回数が増えていた。
トイレに行きすぎてアルバイト先で怒られた
この頃、わたしは某レンタルビデオショップでアルバイトをしていました。
仕事内容は主に2つあって
レジ打ちとDVDの陳列です。
DVDの陳列はただジャンルごとに別れている
棚に返却されたDVDをアイウエオ順の元あった場所に
返すだけで良いので急にトイレを催して消えたとしても
問題なかったのですが
(今考えるとそれも考えものだと思うが)
問題はレジを担当している時でした。
トイレに行きたくなったら代わりの人を見つけて
「レジお願いします」と声をかけていくか、
「レジ休止中」のプレートを置いて去るかのどちらかでした。
潰瘍性大腸炎まっただ中のわたしは、人に声をかける余裕なんかなく
「レジ休止中」プレートを頻繁に出してはトイレへ消えていた。
普通の人ならまず、トイレに行きたくてこのプレートを出すという、状態にさえ
あまりならないだろう
そしてそういう状態になってその場を離れたとしても10分ほどで戻ってくるだろう
そしてそんな事態は1年に1回か2回訪れるくらいだろう。
わたしはそれをシフトに入るごとに4、5回は繰り返し、
さらに何十分も戻ってこないというとんでもないヤツだった。
最悪な日であれば
合計1時間くらいはトイレに行っていたと言っても過言ではない。
5時間のシフトだったとしてそのうちの1時間トイレに行っている事になる。
とても迷惑だ。
幸い、レジは3個あったので常に1個か2個はレジが開いてる状態だった。
なので、この「レジ休止中」プレートを出してトイレに行くことに対して
わたしはそんなに問題はないと思っていた。
しかしある日、店長にスタッフルームへ呼び出されて
「何でそんなにトイレに行くの?レジ空けすぎじゃない?」
と注意を受けた。
この時のことは今でもよく覚えている
迷惑そうな店長の顔
「サボるな」と伝えたいことがよくわかった。
しかし店長がそう思うのも無理はない
時給を支払う側としては
何十分もトイレにこもられてはとても迷惑な話だ。
何のためにコイツを雇っているのか…という話になるのは
当たり前だ。
この時に感じたこと
それは
「なんてタチの悪い病気なんだ…!泣」
と言うこと
わたしは自由に働くこともできない体になってしまったんだ
と言うこと
体の自由がないことが
こんなに辛いとは知らなかった。
実際に経験しなくては
この辛さはわからない
健康な体を自ら壊したことを
嘆いた。
そして潰瘍性大腸炎と言う病気は
精神的にも追い詰めてくるのだ。
もしもトイレに間に合わなかったら。
と言う強迫観念
そんな最悪な場合を
考えると
とても恐ろしい
恐ろしすぎる…!!!
もしそうなったとしたら
あちゃーどころではない
笑えない。
と、散々この病気になって苦しめられても
わたしは潰瘍性大腸炎と言う一生治らない病気に
なったと言うことを受け入れられずにいた。
なぜ潰瘍性大腸炎になったことを受け入れられなかったのか
なぜこんなにこの病気を受け入れることに抵抗があったのかというと
内視鏡検査をしたあとに症状が改善した経験をしたからです。
わたしはこの潰瘍性大腸炎という診断をもらうために
人生で1番辛かった内視鏡検査というのをしました。
この検査をしてからしばらくすると
不思議なことに
だんだんトイレに行く回数が減っていってのです。
症状が治ってきていたんです。
この現象がなければ
わたしはハワイ旅行を諦めていたかもしてません。
これはあくまで推測ですが
内視鏡検査のために腸内にある便を
全部出し切ったのが良かったのかもしれません。
腸の初期化をしたというか
クリーンアップした感じが良かったのでしょうか。
しかし、やはり『潰瘍性大腸炎』と言う病気と
診断された事実は変わりません。
わたしは、少しづつこの病気とともに歩むことを
受け入れていったのです。