考え

わたしについて(小学生~高校生編)

3月生まれでいつも背の順は一番前だった

わたしは3月に生まれました。

とても寒い日に長女として産まれました。

3月生まれと言うのは、同級生の中で1番最後に誕生日を迎えるので、周りより成長が遅い印象を与えます。

中には、3月生まれでも4月生まれと変わらない子もいるとは思います。

ですが私はまさに3月生まれの象徴のような子供でした。

 

・背が小さい

・消極的

・恥ずかしがり屋

・友達と話さない

 

背の順に並ぶと

いつも1番前で、腰に手を当てるポーズでした。

中学1年生までずっとそうでした。

あのポーズは背が1番小さい人だけが出来る特別なポーズだと感じていました。

嫌ではなかったです。

だけど、背の順2番目からがする

手を前に平行に突き出すあのポーズを

初めてするようになった時は感動しました。

あぁわたしより背が小さい人が前にいるなんて…!と。

 

3月生まれは消極的!?

 

3月生まれと言うのは消極的な性格になる説みたいのが世間ではある気がします。

実際にわたしは消極的でした。

高校3年生までずっとそうでした。

それを如実に体験したことがありました。

あれは小学5年生の時でした。

担任の先生がホームルームの時に

「3月生まれの人はひっこみ思案なんだよ!みんな知ってたかな??ちょっと!3月生まれの人!手をあげてみて!」と言いました。

手を挙げたのは、2人で、その2人のうち1人は私で、あともう1人はクラスでとても静かな男の子でした。

先生は続けて、「ねぇ!?分かったでしょ??」と言いました。

クラスのみんなも、

「ホントだ〜!」

「〜君とみきちゃんて話さないもんね!」

と言ってました。

私は幼心に、

(わたしって変なんだろうか…)

と感じたものです。

そして子供を持つ親となった今

この出来事に関して感じるのは

先生という立場だったら

こういう発言はしてはいけないと思います。

もし自分の子供たちが同じ体験をしたら

とてもかわいそうです。。

 

 

中学生の頃は、ジャイアン的な存在の男子に、

「何で話さないんだよ、あ。って言ってみろよ!」

と言われたこともありました。

それでも、私は恥ずかしさが勝ってしまい、

照れ笑いとお辞儀をするのが精一杯でした。

そしたら、その男子が、軽く私の事を突き飛ばしてきたのです。

めちゃくちゃ怖かったです。

その時怖くて仕方ないけど何も出来なかった私をクラスの女子が「やめなよ!」とかばってくれました。

そんな金八先生的な出来事を体験しました。

その出来事をきっかけに更にわたしは話すのが怖くなりました。

給食の時の机と机を合わせて対面して食べるのも

苦痛でたまらなかったです。

今思えば、何気ない会話をしながら食べる給食は美味しかったかもしれない、と少し後悔してます。

そんな、こころもとない子供でした。

今は、背も159cmまで伸びて、

体重も、子供を産むたび+3kgで

立派なおばさんと化しました。

そして、話すことに関しては、

沈黙が気まずくて喋りすぎてしまうくらい

おしゃべりになりました。

逆に過去の静かなわたしを取り戻したいくらいです。笑

 

周りと一緒と思われたくない気持ちがあった

 

自分で書いていても、本当に可愛くない子供だなって思うんですが、

わたしはいつも頭のどこかで、

わたしは他の人と違うんだ!って思っていました。

それを表現するために「話さない」ということをやっていたように思います。

家では普通に妹と弟と話してましたからね笑

何を根拠に、自分は人と違うと考えていたのか今となっては全くわかりませんが

当時のわたしは自分の世界というのを強く持っていて、外の世界と交わるのが

とても怖かったんです。

だから、「話さない」ことで自分の世界を学校で作り上げてどうにか学校に行っていたんだと思います。

自分の世界と外に広がる世界をどう交えていいか、わからなかったんです。

もう立派なおばさんですが、今でもたまに予想外のシチュエーションに出くわすと

少しパニックになります…笑

 

当時、わたしが1番好きな時間というのがありました。

それは、部活が終わって家に帰って着替えて、

エンヤのアルバムをかけて、フェリシモという通信販売のカタログを見ることでした。

フェリシモというのはおしゃれな通信販売会社で、そのカタログが

本当に可愛くて素敵で大好きでした。

この時間がとても優雅な時間でわたしにとってすごく好きで大事な時間でした。

かわいい食器や洋服、雑貨いろいろ載っていて

見るたびウキウキとときめいたものです。

 

なぜかヤンキー先輩と一緒に応援団をやることに

 

中学一年生の時でした。

抽選の結果、運動会の応援団をやることになってしまったんです。

ここまで読んでくださった方で、優しい方であれば、

あんなに消極的で話さない女子が応援団なんて務まるのか

心配ですよね。

 

もちろん希望してなったわけでなく

あみだくじでした。

それでわたしが引いた結果が

応援団でした。

他には、線引き係やゴールテープ持つ係

コーン片付ける係、とかいろいろあったと思います。

 

わたしは、どうにかして目立たない係になれますように!

と祈りましたが結果は1番やりたくなかった応援団でした。。

やりたくない、なんて言える勇気もないので、やるしかありませんでした。

 

その時に一緒に応援団をやった

3年生の男子の先輩が

ものすごいヤンキーで、

当時のわたしからしたら、初めて触れ合う感じの人で

すごく強烈な思い出になりました。

 

応援するときの衣装をどうするかという

会議をしてるときに

その先輩が

「股間に葉っぱ1枚でよくね〜!?笑」

ウキャキャキャ!

と笑っていました。

わたしは、何が目の前で繰り広げられているか

訳がわからかったです。

早く家に帰ってフェリシモのカタログが見たい気持ちでいっぱいでした。

同じ3年生の女子の先輩が

「ふざけんな!」と言い返してました。

この女子の先輩はとても良い方で

すごくわたしを含める後輩に対して

気遣ってくれたし、優しく接してくれました。

そのヤンキーには厳しめでしたけど

良いコンビという感じに当時のわたしは思えました。

見た目も色白で綺麗な人でした。

今でも不思議ですけど

このときの彼女の年齢よりだいぶ年上になった今の自分

ですが、彼女のことを今でもどうしても中学生の子供だったんだなぁと思えないんです。

そのヤンキー男子のこともです。

いつまでもわたしの記憶の中で年上のお姉さんお兄さんなんですよね。

結局、応援時の衣装は無難に詰襟でした。

運動会、当日、

ドンドコドコドコドンドコドコドコ!!

鳴る太鼓に合わせて

ぶかぶかの詰襟を羽織って

土埃舞う校庭を走り回ったわたしでした。

恥ずかしかったな。。

 

我が子には素直で明るい子供に育って欲しい

 

自分の子供たちには、

素直で明るく元気いっぱい、に育って欲しいと思っています。

「素直で明るく」

耳にタコができるほど聞いているこの言葉、

ありふれたこの言葉、なんですが

40歳目前にして、この「素直で明るく」が

いかに人生で大事なのか身にしみて

わかりました。

そしてこれができる人、子供こそが

人として素晴らしいのだと感じています。

そういう人はチャンスを掴みやすいと思うし

物事を覚える力も強いと思います。

素直に人の言うことを聞くことができる、

それだけ出来れば、花丸だと思います。

なのに、わたしは自分は人と違うはずだと

なんの根拠もないのに思っていて

言われたことを素直にやることが

なんか嫌で、自己流を貫いてしまう悪い癖があります。

そのため、人生を無駄に過ごしてきてしまったっと思います。

遠回りしてしまったと言う感じがしています。

もっと、人の言うことを素直に聞いて実行していればよかったと

今思います。

だから、我が子には

人の言うことをよく聞いて、言われた通り

やれるようになって欲しいです。

自分のやり方が出てくることもあると思います。

でもそれは、言われたことを一通り出来る様になってから

自分のやり方、と言うのを試してみれば良いと思います。

人の言うことを聞く=意思がない

そう言うことじゃなくて、まずは人の教えを

受け入れる、そしてそれに反発せず

実行する、難なく出来るようになってから

自分のやり方でやってみる。

これが出来れば絶対に人生はうまく行くと思います。

 

  • この記事を書いた人

みき

20歳のころ潰瘍性大腸炎と診断され
さらに難病だと聞かされ絶望する。
この病気とつきあって17年
現在 働きながら3人子育て中
長男9歳 次男2歳 長女6ヶ月
ブログ運営の仕方と長期資産投資を日々勉強中
夢は通勤のない生活
(潰瘍性大腸炎を患っていると通勤は本当苦痛です)
余裕のある未来に向けて奮闘中
潰瘍性大腸炎だけどいろいろなことに挑戦したい!
潰瘍性大腸炎でも何とかなるさ!と生きてます

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